イベント情報
特集 オータムフェスティバル in 龍野
オータムフェスティバルとは?
オータムフェスティバルは、秋の紅葉の時期にたつの市の揖保川西の龍野地区で開催するイベントで、今年で第4回目となります。
鶏籠山の麓、清流・揖保川が流れる緑豊かなまち、龍野。
約100会場・170のイベントやお店でおもてなしします。
<イベント詳細はこちら>
なお、このイベントの趣旨・目的は次の通りです。
「レトロな龍野。ゆらり、ぶらり。」のテーマのもと、
- イベントを通して龍野に住む一人一人にさら に元気に輝いてもらえる機会を提供する。
- イベントを楽しみながら龍野地区を散策することにより、伝統的建造物及び町並みと真っ盛りの紅葉谷のすばらしさを楽しんでもらう。
- 現在の龍野地区の建物・文化・人物・グループなどの「財産」を活かす。
- 人と人とのふれあいや交流の場をつくる。
- 青少年の育成をかねて、地元の児童・生徒・学生にも参加してもらい、心の中のふるさと作りを図る。
- JR本竜野駅を龍野地区への入り口と位置付け、JR姫新線の利用客の増加を願って駅からを会場の範囲とし、揖保川をはさんだ東西の地区を結びつける。
レトロな龍野をゆらり、ぶらりとお楽しみ下さい。
★オータムフェスティバル座談会
(今回の座談会の出席者は次の方々です。オータムフェスティバル実行委員会;山根会長、井上副会長、原田副会長、武内事務局長、吉岡企画班班長)
<オータムフェスティバルを始めたのは・・・>
司;オータムフェスティバルはどういうことから始まったのでしょうか?
山;龍野は春の桜まつりも知られていますが、秋の紅葉シーズンの方が有名なんです。つまり、春のシーズンは1週間しかないが、紅葉シーズンは1ヶ月近くあります。観光客の延べ人数もそういうことから秋の方が多い。そういう期間に龍野地区で独自にお茶会や展示会等、色んな催しがランダムに行なわれていた。住んでいる者もすべては分からないし、特に他所から来られた人には何をやっているかまったく分からなかった。折角行事をやっていてももったいないので、何かまとめて宣伝出来ないかと考えた訳です。
紅葉の盛りの時にどこで何をやっているかを知らせようというアィディアが、龍野に想いを寄せる有志から出され、さらにかじょう会や龍野伝建研究会、楽とんぼのグループの有志が加わって活動を開始した。とりあえず地図を作ってみようとメンバーのある方に作ってもらった。
司;地図の制作・印刷費等はどうしたのですか?
山;元々お金は全く無かったのでどうしようかということになった。たまたま西播磨県民局のパワーアップ事業という助成金があると聞いて、それに急きょ応募した。応募が多くて通常50万円のところが30万円になってしまった。印刷枚数をどれぐらいにするか悩んだ。一応龍野市全世帯に配ることにした。またポスターも作成して色んなところに貼っていきました。
司;1回目と2回目はデザインが随分違いますね。3回目は今のものとほぼ同じですね。
武;1回目は三つ折りのマップでした。見て頂きやすいように折り方を工夫して催しの場所と内容が対応して見られるようにしました。しかし、部数が多いので折るだけでも大変な手間がかかりました。
山;すべてが初めてのことばかりで“手さぐり状態”で大変だった。印刷の間違いで1枚ずつ直したりしたしね。結局赤字になってしまいました。
司;他のイベントのやり方を参考にしたりはしなかったのですか?
山;そんな余裕は無かった。1回目は50のイベントだったが、どれぐらいの人が来てもらえるのかさっぱり分からなかったので、色んな人に声を掛けまくりました。
司;2回目、3回目のイベント数は?
山;2回目80ぐらい、3回目は100ぐらいになりましたね。
司;どれぐらいの観客が見えたのですか?
山;初めは30,000人ぐらいだったと思う。市長も実際に来られて、普段と人出がまったく違うのでびっくりされたようだ。1回目は何とかお金が工面出来たが、2回目はどうなるか大変不安だった。
原:1回目の時に人出が大変多かったのが良かった。それによって市が補助金を出してくれるようになりました。
<すべてが手作りイベント>
井;初めは道具なども色々工夫して作りました。結構楽しかったですね。
司;どんな道具ですか?
井;イベント会場の目印であるオレンジの布(右の写真の点滅○印)に、1から99までの番号やもみじのマークをステンシルしたり。また布を裁断して縁をミシンがけして1枚1枚作りました。ホントに手作りでした。
司;他に苦労したことはありますか?
井;オータムのイベントは、オータムの実行委員会がやるというより、色んなイベントを一緒に案内しましょうというのが始まりでした。第1回目に、ライオンズクラブが丸山弁護士を呼ぶというのでそれを掲載したのですが、時間を間違っていたので後から直すのが大変でした。みんなでアポロスタジオに集まって夜遅くまでかかってマジックで修正しました。龍野実業高校の生徒や道を歩いている人にも応援を頼んだりしたのを思い出します。
<参加するにはどうしたら良いですか?>
司;参加(出展)する場合のルール的なものはあるのでしょうか?
原;基本的な方向性は守っていって頂いています。例えば、家の前に出っ張らないとか、テントを張らないというのが基本です。古い建物を活かそうという考えです。
井;テントを張るお祭は全国にいっぱいありますが、、折角古い建物を見るのだから、都会から来る人にとってはちょっと家の中を覗けたりしたら良いのではと思いました。
司;古い建物の提供者はいなかったのですか?
井;そうですね。1回目の様子を見て、みんな楽しそうだなぁと思われたようで、来年は使えるようにしておくからと言われる家も出てきました。
山;我々の伝建研究会というのは当初から古い街並みを楽しんでもらおうという大きな思いがあります。道路は絶対使わないことと、つまり交通の安全面からも路上でのイベントを禁止しています。とりあえずシャッターが閉まっている所を何とか開けて、オープンハウス等、昔を懐かしむと同時に楽しんでもらうというのが大きかった。そういう中で声を掛け何とか賛同を得て、これだけの出展者がいるので貸して欲しいと頼み込んだりした。
また、会場となりそうな場所を修繕して使えるようにしましたよ。ここ(ふれあいギャラリー)もつぶす予定だったのをかじょう会という団体が再生したりした。古い建物でも十分再生出来ることが分かって、この辺の人から家屋を再生したいと言ってくる人が増えだし、オータムのようなイベントに対して徐々に家屋の持ち主が協力してくれるようになった。もっとにぎやかにして欲しいという人も出てきたが、やはりここに実際に住んでいる人自らが参加して元気になってもらうのが一番ですと申し上げています。
<今回の見所は?>
司;今回の見所は何でしょうか?
山;やはりマンネリ化は良くないし、何とか若い人にも入って戴いて新しい目で続けてほしいと思います。また、PR方法も前回からホームページとかが加わって、広くアピールすることが出来るようになった。
井;他所の祭は市がやっていたら全部無料とかになっているが、ここでは“古い建物”がキーワードになるだけで、無料のものもあるし、有料のものもあって自由にそれらを使ってやっていくというのが良いと思います。
司;1回目は大変苦労されたというのが分かりましたが、2回目の特徴は何ですか?
武;2回目はキャッチフレーズでしょうね。「レトロな龍野。ゆらり、ぶらり。」が生まれました。
司;3回目は何が前と違いますか?
井;マップを場所の番号順に整理したのが大きいと思います。本竜野を1番とし、町の中は、昔から住んでいる人が使っていた何町内というものを基準に整理し、分かりやすくなったと思います。
司;今回で4回目ですが、大きな特徴は何ですか?
山;今回は、企画班というのを設けて何かないかと検討してもらった。
吉;そうですね。今年は寅さん(渥美清さん)をテーマに取上げました。今まで忘れ去られていた所を思い出してもらえるようにしたいです。
井;龍野をテーマにした第17作「男はつらいよ寅次郎夕焼け小焼け」がちょうど30年前に撮影され、渥美さんが亡くなられて10年というちょうど節目の年です。
吉;また、BS放送でもシリーズで放映され、人気投票でこの第17作が堂々2位になっています。
井;当時の映画の1シーンにあったのですが、市の観光課長が龍野橋のたもと、つまりうちの店(ガレリア)の前でタクシーを止めて「ここからの鶏籠山が一番美しいです」という場面があり、ここでタクシーを止めて写真を撮る人がちょくちょくいらっしゃいましたよ。
司;実際にあったんですね。すごいですね。寅さんが大きな目玉ですね。
吉;古い方はどこでどんなことがあったとか良く知っておられるかもしれませんが、“追っ掛け”をされていた方がかなりあったようです。その当時の写真とかも色々あります。撮影の時は電話ボックスの上まで人が乗ったりして黒山の人だかりだったようです。
また、昨日、当時の撮影をよく知っておられる伊藤さんに寅さんの照明監督である青木好文さんを紹介して頂き、お話を聞くことが出来ました。当時の龍野のロケは良く覚えておられるということでした。40数作の中で記憶に残っている代表的なものの3作に入っているそうです。
当時のエピソードを聞いて驚いたのは、ひと通り撮り終わった後、1カットだけのために改めて寅さんが龍野に来られて撮影したということがあったそうです。どのカットかというと、寅さんが龍野橋を歩いていてアイスキャンデーを買うシーンがあって、夏なので入道雲を背景に入れたかった。しかし実際の撮影は6月だったのでいくら待っても入道雲が出なかった。そこで7月中旬にその1カットを撮りに来たということでした。封切りまで時間が無く大変だったそうです。
司;お客さんにはどういう風に見て頂くことになるのですか?
吉;ブースとしては、30番のタル林さんで写真やグッズの展示があります。それ以外はマップにも書いていますが、各ロケ現場に写真(→)のような案内板を置いていますので映画を見られた方はそこのシーンを思い出しながら歩いて頂きたいと思います。
<他にもPRしたいことは?>
司;ほかにPR出来ることはありますか?
井;コンサート等も充実していますよ。自分たちのチラシをオータムのロゴを一部取り入れて独自で作ってPRされている大変積極的なグループもあります。
山;あるコンサートでは、素人なのに音響や照明までやるハメになって大変苦労した。本来自分達のイベントなんだから自分たちでやってもらわないといけない。その辺を分かって参加してほしいですね。
原;元々個々のイベントが自らPRするチラシを作り、それをオータムの実行委員会が取りまとめるという役割というのが大前提だった。
司;古い伝統的建物の持ち主自体が、“ここでこんなものをやってみたい”と企画して頂いたら良いんでしょうけどね。
武;そうなんです。お寺さんやお店でもただ場所の提供だけでなく、自分のところが企画・運営されたら一番良いですね。
司;他に今回の特徴などありませんか?
井;今までJR本竜野駅から龍野橋のところまであまり出展がありませんでしたが、今回は何店か出展されます。丁度つなぎになっていわゆる昭和の通りを通って龍野橋の西の大正・明治・江戸の街並みに入っていく流れが出来たように思います。ぜひJRで来て欲しいですね。
<このイベントで変わったことは?>
司;最後にオータムフェスティバルによる影響はありましたか?
山;もう少し自分たちの街を見直したり、直して(修繕して)いこうとか、徐々に変わってきたと思います。
井;下川原に新しいギャラリーが出来たりしていますし、ちょっと変わってきました。
司;これを延長させて、商店街を復活させるようなことにつながらないですかね?
武;本格的にやっていくのは難しいかもしれませんが、オータムをやって色んな人に見てもらう中で“ああ、この辺に住みたいなぁ”、とか“ここでこんなことをしてみたい”と思って頂くチャンスが増えることになります。実際にあったのですが、オータムが終わった後に四国の方から“住みたいのですが、どこか空き家はありませんか?”と電話が入ったこともありましたし、今後もそういう方が増えてきたら嬉しいですね。