たつのの有名人&達人

インタビュー丸山和也弁護士(第1回)

原点は“たつの”、そして外から見た“たつの”は?

丸山弁護士写真

A ;丸山さんのこれまでの行動とか思想とかのベースは何ですか?

丸山;ぼくの思想というか考え方が生れたのは、この播州たつのに生れ育ったことがとても大きいと思うんです。自然の中で育ち、うち(自宅)の中でおじいちゃん、おばあちゃんが死んでいく。亡くなったら近所のサンマイ(火葬場のことで、人が死んだらそこで薪やワラ等で燃やして火葬をしたが、今はそういう場所で行うことは無くなった)で火葬をするのですが、夜中に薪をくべに行ったりしたものです。怖かったですが、“おばあちゃんがもえているんやなぁ”と思いました。翌日昼ごろに骨拾いに行きました。そういう人の生死を実感として味わった訳ですね。

A ;私らの子どもの頃までそういう風習がありました。

丸山;そういう新宮、たつのに育ったことは強いですね。根底にありますから、どっか(いろなんところで)行動する時に色合いとして出てきます。

A ;東京のお住まいが長いですが、外から見た“たつの”はどうですか?

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丸山;たつのは、“おだやか”というイメージで、自然に恵まれているところで、清らかな感じですね。自分が青春をおくったのでエネルギーの源になっています。大学に行ったり、弁護士になったりしていますが、原点は“龍野高校”です。社会に出る前でしたが、高校3年間が“核”になっています。それがずっと続いている感じです。“頑張るぞ!”という気概、女性に対する興味の持ち方なんかも高校時代に培われたと思います。当時、「高校3年生」という歌が流行り、あれがダブルんですよ。歌詞に“離れ離れになろうとも・・・”。これはいまだに強く残っていますよ。あの歌を唄うとその頃のフォークダンスをした光景を思い出してジーンときますね。
それともう1つ、“王将”という村田英雄さんの歌ですが、“明日は東京に出て行くからにゃ、何が何でも勝たねばならぬ”という歌でね、それらがキーソングになっています。“ヤルゾ!”というヤル気と、ほのかな甘い思い出のあった高校時代、その2つだけで生きているんです。(一同爆笑)今後歌に出てきた通天閣に行くことも検討しています。
たつのについては、“懐かしい、たつのありがとう!”ですね。
たつのの話題が出るのはうれしいですが、大きな企業を誘致したりするよりも、“分に応じた最高の輝き”をしてほしいです。よそと競争するのではなく、文化的な香りがするレベルの高い町としていってほしいですね。

A ;まさに私どもは“たつの文化活動促進運営委員会”という名前ですから、まず、“文化”を前面に出して発展させていこうということでやらせて頂いております。

丸山;そうですか!

A ;「たつのへようきたったなぁ」のサイトは、東京近辺からのアクセスが約35%あります。その中で、検索のキーワードが圧倒的に「たつの」や「観光」という言葉が多いのです。やはり、多くの東京の方が小京都とか文化、観光等で「たつの」に関心を持って頂いているのかなと思います。たくさんの方に来て頂き、良い印象を持たれたら、ぜひたつのに住んで頂きたいという思いで頑張っています。合併によって市の地域が広がり、1〜3月は、御津の菜の花、2,3月は御津の梅、3,4月は龍野や新宮の桜、4,5月は光都のチューリップ、6月は揖保川の紅花、10月は揖保川のコスモス、11月は龍野・新宮の紅葉等々、年中順番にいろんな花や自然が見られます。そしてこれからですと秋に恒例の“オータムフェスティバル”もありますので、お時間がありましたらぜひお出で頂きたいと思います。

丸山和也弁護士 |
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たつの市の文化紹介『たつのへようきたったなぁ』
制作:たつの文化活動促進運営委員会(TCC)|メールアドレス:jouhou@tatsuno.info