たつのの有名人&達人

過去の有名人(政治)

脇坂安治
わきさか やすはる
1554-1636
旧龍野藩主脇坂家の藩祖。羽柴秀吉に仕え、三木城主別所長治を攻めて功を挙げ、知勇豪胆の将として認められ、輪違いの紋を許された。また、賤ヶ岳の合戦では七本槍の一人として勇名天下にとどろかせた。
脇坂安照
わきさか やすてる
1658-1722
忠臣蔵に登場し、幕府代行で赤穂城の受け取りを務めた龍野藩主。
脇坂安董
わきさか やすただ
1768-1841
龍野藩主で、弱冠24歳で徳川幕府の要職寺社奉行に任ぜられた。外様大名でこのような栄職を務めることは異例の抜てきであった。後年、老中も務めた。
脇坂安宅
わきさか やすおり
1809-1874
龍野藩主で徳川幕府の要職寺社奉行、京都所司代、老中を務めた。桜田門の変のとき、浪士たち一隊は自訴状並びに斬奸状(ざんかんじょう)を携え、脇坂邸に自訴した。邸では、かゆを炊いて庇護したことが時の幕府に漏れ、謹慎を命ぜられた。
水谷又兵衛
みずたに またべえ
1819-1851
重い年貢の取り立てに対し、自らが首謀者となって農民約1万人の百姓一揆を起こす。
柴原和
しばはら やわら
1832-1905
龍野町の出身。明治の初期、千葉県を始め、山形県、香川県等の県知事として県議会の創設や税制の確立等を行い、全国各地で大きな治績を挙げた。
股野琢
またの たく
84歳で没
龍野出身。19歳の時に大阪に出て山本弘塾に入り、20歳で塾長となる。後に安積良齊の門人となり、聖堂に入り高杉晋作と机を並べて学ぶ。明治22年宮内庁に入庁。法制局長、内事課長を歴任し、教育勅語の起草委員、帝室博物館総長も務めた。
冨井於菟
とみい おと
1866-1885
龍野町上川原出身。幼少のころから学問を好み、当時の女性としては珍しく龍野中学校を卒業。明治初期の女流民権家で、東京女子大学の創建にも参画。満19歳という若さで亡くなった。
碧川かた
みどりかわ かた
1872-1962
露風の生母。節次郎と離婚後、女は無力だ、くやしいの二つの憤懣は爆発的に禁酒運動や婦人参政権獲得運動という具象となり、同士と街頭に出ての署名運動、演説、国会議員を動かして請願書を提出するなど不眠不休の活動を行った。
田中静壹
たなか しずいち
1887-1945
揖西町小神に生まれ、東部軍司令官、陸軍大将となる。昭和20年8月15日の正午に流れる終戦詔勅(しゅうせんしょうちょく)の放送盤を近衛師団が奪取しようと反乱したが、田中大将の功によりクーデターを未然に防いだ。終戦後の8月24日自決。
鹿島守之介
かじま もりのすけ
1896-1975
揖保川町の永富邸は生家で、古くは脇坂家の在郷家臣であった。東京帝国大学法学部を卒業し、外務省に入省。その後、鹿島建設会長、参議院議員などを務めた。生前、文化会館を本市に寄贈。また、後年同氏の遺志を受け継ぐヤエスブックセンターの10周年事業として歴史文化資料館の建物を寄贈。

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制作:たつの文化活動促進運営委員会(TCC)|メールアドレス:jouhou@tatsuno.info