たつのの有名人&達人

過去の有名人(産業)

丸尾重次郎
まるお じゅうじろう
1815-1889
当時米作りは国の礎であり、稲の品種改良者は国民の恩人であった。氏は明治10年、稲の粒数の多い3本の変種を発見。翌年これをまくと米が沢山取れたので「器量良」と名づけた。今までの2〜3割の増収があり、人々は神様が農民のために授けてくれたものと言い、その名を「神力」(しんりき)と呼んだ。また神力の採種組合を揖西町に設立し、広く西日本に配布。御津町中島の出身。
淺井彌兵衛
あさい やへい
1822-1878
龍野貯蓄銀行頭取、九十四銀行取締役、龍野銀行相談役に就き、堀銀行との合併後は取締役頭取となる。また、浅井醤油と菊一醤油を合併させ、龍野醤油鰍ノ改組した。一方、龍野図書館を個人で改築費を投じて建設するなど地方文化にも貢献。
三木 制
みき すさむ
1834〜1911
露風の祖父。江戸時代脇坂公に仕え、幕末には龍野藩民政判事寺社奉行を勤め、明治維新後に第九十四国立銀行取締役、明治19年に同銀行頭取となり、その後龍野町初代町長に就任。また、漢学(中国の儒学の総称)の造詣も深かった。
横山省三
よこやま しょうぞう
1849-1910
龍野醤油業界のリーダーシップをとり、「龍野淡口」の名を不動のものにするとともに、龍野醤油同業組合を設立し、初代組合長となる。
澤野利正
さわの としまさ
1850-1928
播州素麺の改良者、素麺組合を創設し、営業の進歩と品質の改良及び素麺の製造、検査法などを確立。
平井文之助
ひらい ぶんのすけ
1861-1936
龍野公園の桜道を開拓し、桜1,000本を植樹して町に寄贈。後年、紅葉谷から両見坂までを道路補修し、楓500本を植樹。
堀 豊彦
ほり とよひこ
1862-1932
県議会議員、衆議院議員に数期当選。政界で活躍する一方、実業界でも雄飛し、地方産業のために尽力。龍野電気鉄道の創設に尽力し、後年社長となる。また、網干銀行頭取、龍野醤油・灘酒造などの重役、播磨素麺組合長、小宅村長も務めた。
三木彌兵衛
みき やへい
1876-1934
矢野游焉塾に学び、東京に遊学。後に京都で味噌、醤油エキスの工場を設立、また満州で回天堂薬舗を経営。帰郷後家業を継ぎ、酒・醤油を醸造。三木合名会社を組織し、社長となる。
衣笠静夫
きぬがさ しずお
1895-1962
日本広告会の2代目理事長を務め、広告界の先駆者。戦後GHQ連合軍総司令部が節約のため、新聞広告欄廃止の通達を出した時、広告効果によって商品を啓発していくことが商業の復興、発展につながるものと説き、勧告を撤廃させたというエピソードの持ち主。

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制作:たつの文化活動促進運営委員会(TCC)|メールアドレス:jouhou@tatsuno.info