たつのの有名人&達人

過去の有名人(教育)

藤江熊陽
ふじえ ゆうよう
1683-1752
天和3年赤穂郡中村に生まれる。神童といわれ、浅野候はその才能を賞し、将来の大成を期していた。元禄14年龍野藩に仕え、その後京都に遊学し、学成りて儒官として再び脇坂候に仕える。龍野藩三学者のひとり。赤穂の花岳寺にある忠義塚は熊陽撰文(文章)である。
中井甃庵
なかい しゅうあん
1693-1758
宋学三宅石庵から学び、大阪に私塾懐徳堂書院を創設し、院長となる。後に甃庵からその子竹山、履軒に伝え、大阪文化の恩人と言われている。著書に不問語、甃庵雑記など多数ある。
股野玉川
またの ぎょくせん
1729-1806
龍野藩の儒臣で、禄百石であった。幼年時代より藤江熊陽に就いて学び、後に京都に出て斉藤仁斎の門に入り志方點斎に師事した。著書は選詩類材、孝婦鳴盛論幽蘭堂日記ほか多数。
矢野静廬
やの せいろ
1816-1900
藩主安董の側近で詩学研究し、藩校の教授となる。明治維新時藩校教頭となる。その後小学校校長、中学教員となり、明治9年には龍野町霞城町私塾游焉塾(通称矢野塾)を開き、地域教育に尽力。
本間虚舟
ほんま きょしゅう
1848-1920
私塾半九精舎の開設者で、藩校の読書指南でもあった。明治30年龍野中学校が開校した時招かれて教鞭をとった。老後は、月雪花鳥友とし、揮毫楽しみとした。
山崎八重松
やまさき やえまつ
1855-1942
大正6年私立実業教育弘道学館を創立し、自らが館長として教育に当たった。入学資格は高等小学校卒業者で2ヵ年の就学。商業科目を中心としたが、その特徴は漢文と英語、ユニークな館長の倫理講義などにあった。播州実業界に800人を超える人材を送り出す。
松本松頼
まつもと しょうらい
1867-1938
朝鮮半島に松本農場を開き成功。私財で奨学資金の財団法人を設立し、恵まれない子弟の育成に努めた。龍野実業高校も氏の校地寄付により現在地に移転が出来た。
勝原 茂
かつはら しげる
1904-1962
揖西町小犬丸に生まれる。揖西北小学校校長の時に自主的な同和教育を実践し、昭和23年に同和教育の実施校として研究会を開設。その後、県教育委員会の同和教育担当指導主事に就任し、広く県下の小中学校の同和教育の実践指導に当たった。まさに県下の学校教育に同和教育の先鞭をつけた人物と言えよう。
岡村武雄
おかむら たけお
1907-1953
兵庫県の同和教育の先駆者。昭和23年に揖保郡揖西村で何回も差別事件が起き、同氏の力で大きな問題として発展した。教育部長の主催で教育部の幹部を集め、同和教育の宿泊研修会を行ない、それに参加した人々が責任をもって運動を推進し、それを教育部長に報告させたというエピソードがある。また、これを契機に同和教育は県下に広がった。

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