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揖保川町の観光マップと見どころ

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【1】 野田焼(のだやき)古窯址 (野田)

寛政9年(1797)に龍野藩主脇坂安董が窯場を創設し、京都や明石から陶工を招いて陶器を作らせたものです。窯は7室連房式の登窯で、3室が完全な形で残っており、市の史跡に指定されています。

【2】 因念寺(いんねんじ)山門 (野田)

龍野城の大手門を、明治12年(1879)8月に移築したもので、鬼瓦や巴瓦には脇坂家の「輪違い」の定紋が入っています。現有する龍野城の数少ない建築物として貴重なもので、市の指定文化財となっています。

【3】 野田水源地公園

野田水源地公園内にそびえるタワー式配水塔。このタワーは、西日本一の高さ(51.8m)を誇り、揖保川町の名所のひとつとなっています。

【4】 永富家(ながとみけ)住宅 (新在家)

永富家は、鎌倉時代から続いた旧家で、龍野藩内屈指の豪農であり、名字帯刀を許されていました。瓦銘には文政3年(1807)とある書院風の座敷構えをもつ12間取の主屋、「文化14年正月吉日原田善四郎作」とある長屋門など8棟は、播磨地方における江戸時代後期の民家の特徴をよくあらわしており、絵図版や普請文書13冊とともに、昭和42年(1967)に国の重要文化財に指定されました。さらに、永富家には貴重な古文書や当時の生活様式をうかがえる民具や農具などが数多く残されています。

【5】 養久山(やくやま)古墳墓群 (養久)

養久山の尾根上一帯に弥生時代末から古墳時代初め(3世紀末〜4世紀初)の墳丘墓や古墳が40数基確認されています。特に1号墳は全長32mの前方後円墳で鏡や鉄剣・玉類などが出土しました。古墳の起源と系統をめぐり学会で注目された貴重な墳墓であり、県の史跡に指定されています。

【6】 宝積禅寺(ほうしゃくぜんじ) (大門)

縁起によれば天平年間(8世紀)に諸国を巡遊していた行基が開基した寺で、当時の堂塔伽藍は12坊あったといわれています。本尊の十一面観音菩薩像は市の指定文化財で樟(くすのき)の一木造りで行基作と伝わり、ほかにも貴重な文化財が多く残されています。薬師如来立像と釈迦如来立像が県の重要文化財に指定されています。

【7】 正條の渡し跡 (正條)

明治の初期まで利用された船渡し場。今も川の土手に沿ってむくの巨木がおい茂り、昔の姿を残しています。ここでは数隻の高瀬舟が待機していたが、大名行列にもなると舟が足りず、対岸の揖保村や真砂村から借りたと言われています。

【8】 本陣 井口家 (正條)

山陽道正條宿の本陣。街道に面して明治18年(1885)8月、明治天皇一行が中国巡幸の帰途に休息されたことを記す石碑が建っています。当時の建物は、総て建替えられ往時をうかがい知ることはできませんが、天皇の御座所が復元されその一部を今に伝えています。

【9】 浄栄寺(じょうえいじ)山門 (正條)

龍野城の城門を明治7年(1874)に移築したものです。山門は見張り部屋をもった門で、総けやき造り、釘を使っていないのが特長。東門は別名「すかしの門」ともいわれ、その“すかし”から閉門時に城に登る者を監視することができるようになっています。

【10】 神部小どんぐり・わんぱく広場 (黍田)

神部小学校南の国有林を借り受けて整備されたどんぐり広場とわんぱく広場。広場にはアスレチックや丸木小屋が設置されており、野外活動やこどもたちのふれあいの場となっています。

【11】 黍田富士(きびたふじ)・展望デッキ等 (黍田)

標高170.4mの東山と118.8mの向山は、雄大な姿を横たえ、別名「黍田富士」として親しまれています。神部小学校東端から登る登山道や山頂には、桜の木の植樹や小鳥の巣箱が設置されています。また、展望デッキから眺める揖保川の流れと町並みは絶景です。

【12】 金剛山廃寺跡 (金剛山)

龍隆寺の前庭に廃寺の塔の礎石が現存しています。三重か五重かは分からないですが、白鳳時代(7世紀末〜8世紀初)の美しい塔がこの一角に建っていた当時を想像することができます。伽藍配置は法起寺式と推定されています。

【13】 袋尻浅谷(ふくろじりあさだに)遺跡群 (袋尻)

昭和51年(1976)県道新設工事に伴なって発見された古墳墓群で、発掘調査の結果3号墳より多数の遺物が出土しました。特に土師器のカマドとテーブルセットは、全国的にも発見例の少ない貴重なものです。また、2号墳からは素環頭大刀が出土しました。これらの遺物は市の文化財に指定されています。

【14】 本陣 高西家(たかにしけ) (馬場)

馬場宿の本陣。室津街道に面した庭の檜の大木は樹齢500年といわれ、室津から鳩ケ峰を越えた旅人の道標ともなっていました。

【15】 梶山(かじやま)城跡

明徳年間(1390年〜1394年)に赤松教弘が築城した梶山城は、教弘が袋尻の伝台山城に移った後、数度落城の悲運にあっています。現在本城とされる山頂に「史蹟梶山城址」と書かれた石碑が建てられています。

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