童謡の里 龍野 碑巡り

3「横山省三」の陶像と頌徳碑

■所在/龍野町上霞城 うすくち龍野醤油資料館別館の前庭
■建碑/大正4年5月

龍野藩は、王政復古後、窮迫する藩財政の建て直しを図り、半官半民の生産局を設けて、醤油を藩業にしようとした。その矢先、明治4年の廃藩置県によりすべて計画倒れに終り、業界は一時無統制の過当競争に陥った。これを見た横山省三は、龍野醤油の将来を憂い、明治9年有志と謀り、龍野醤油醸造組合を結成した。自ら組合長となり近代的組合への基礎を固め、34年の永きにわたり、ひたすら龍野醤油の興隆と発展に尽くした。その功績を讃え建てられたものである。

4「永富敏夫」の絶筆碑

吉人之辞寡、躁人之辞多

■所在/龍野歴史文化資料館西隣り
■建碑/昭和37年11月25日

永富敏夫は、鹿島建設の会長であった故鹿島守之助の実父である。
号は撫松といった。永富守之助は長じて鹿島家に入り養嗣子になったので鹿島姓となった。昭和37年実父敏夫の五十回忌に、文華会館(龍野歴史文化資料館の前身)を建設し龍野市に寄贈した際に、この碑も建てられた。碑文の書は、大正2年5月死の1か月前に書かれた絶筆であり、文言は易経の繋辞伝から採られた言葉である。「吉人」は立派な人、「躁人」はせかせかと落ち着かない人の意。

たつの市の文化紹介『たつのへようきたったなぁ』
制作:たつの文化活動促進運営委員会(TCC)|メールアドレス:jouhou@tatsuno.info