童謡の里 龍野 碑巡り

7「矢野静廬」の紀恩碑

■所在/龍野神社石段中腹の右下
■建碑/明治30年8月

矢野静廬は、一高寮歌で名高い矢野勘治の養祖父で、名は真亮、通称は真吾といった。文化13年(1816年)藩儒の家に生まれ、江戸に遊学して詩を梁川星巌に、文を大槻磐溪に学んだ。帰藩して藩校敬楽館の教授となったが、明治維新後は私塾游焉塾(通称矢野塾)を開き地域教育に尽くした。明治28年長男皆山(本名温)が夭折したので矢野勘治を養嗣子に迎えた。静廬は85歳まで生き、明治33年に没した。この碑は、静廬、皆山の薫陶を受けた門弟が建てた紀恩碑である。

8「野村泊月」の句碑

春水の上の障子のあきにけり

■所在/龍野公園聚遠亭東入口
■建碑/昭和33年4月3日

野村泊月は、明治15年、丹波竹田町の酒造家(西山家)に生まれ、野村家を継いだ。早稲田大学時代虚子に師事し、ホトトギス課題句選者、週刊朝日の選者等になった。始め「山茶花」のち「桐の葉」を主宰し、句集には「比叡」「旅」「雪溪」等がある。
この句は、昭和5年3月、聚遠亭で「いひほ」百号記念俳句大会が開かれたとき、招かれて作った句である。虚子はこの句から「春水」を歳時記に採ったという。句碑は「いひほ」社中によって茶室のよく見える場所に建てられた。3年後の昭和36年に没し、行年80歳であった。

たつの市の文化紹介『たつのへようきたったなぁ』
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