■所在/龍野神社石段中腹左上
■建碑/昭和34年3月8日
永富撫松は、元治元年(1864年)揖保郡揖保川町新在家の豪農の家に生まれた。名は敏夫といい号を静軒、靖軒、撫松といい、鹿島建設会長であった鹿島守之助の実父である。漢詩を好み、藩儒を中心に漢詩の同好者で作っていた淡水吟社の有力メンバーであった。
碑文の漢詩は、明治29年5月8日、早朝雨を冒して聚遠亭に上ったときの漢詩といわれている。
■所在/龍野神社石段中腹左下
■建碑/昭和45年5月
西村旅水は、名を豊といい、龍野の人でホトトギスに属し、龍野「いひほ」句会の幹部会員であった。初心者の会「たのしみ句会」や長生会(老人会)の指導に努めた。初心者の指導に尽くして俳句愛好者を育成した功績は大きい。
この句碑はこれらの会員によって建てられた。昭和48年、81歳で没した。