童謡の里 龍野 碑巡り

21「三木露風」の赤とんぼ歌碑

赤とんぼ夕焼小焼の赤とんぼ負われて見たのはいつの日か山の畑の桑の実を小篭に摘んだはまぼろしか十五で姐やは嫁に行きお里のたよりも絶えはてた夕焼け小焼けの赤とんぼとまっているよ 竿の先

■所在/龍野公園入口三叉路
■建碑/昭和40年5月28日

この童謡は、大正10年8月「樫の実」に発表された。露風33歳のときである。露風はこのとき北海道上磯町渡島当別のトラピストにいた。異国の丘を思わすようなトラピストの台地に立って、朝な夕な津軽の海を望むとき、彼の心に去来したものは何であったか、ふるさとの思い出ではなかったか。そう考えるとこの詩は、単なる姐やの思い出ではなく、望郷の詩であり、母恋いの詩と解すべきではなかろうか。

22「犬飼 武、篤子」の比翼歌碑

御題「船出」犬飼武檣灯はなほともりつつあさあけのうしほにのりて舟いでむとす御題「早春」犬飼篤子早春の峠のみちはあかるくてもろ木の芽ふく匂ひただよふ

■所在/龍野公園動物園の上部
■建碑/昭和31年陽春

犬飼 武の郷里は岡山県高梁である。大正14年関西学院大学を出ると龍野女学校に英語教師として赴任し、約30年間龍野を出なかった。彼は、昭和4年「水甕」に入って尾上柴舟に師事し、7年同人となった。43年「水甕」の選者となり、柴舟賞をもらっている。歌集は、大正11年「吉備川原」、昭和13年龍野で「愛哉(はしきやし)」、昭和34年明石で「小径集」、昭和48年「後夜」を出版している。歌碑の短歌は、昭和28年の御題「船出」に詠進して与選した一首である。
また、夫人の篤子も「あららぎ」の女流歌人で昭和31年の御題「早春」に与選した作品である。中霞城から碑の前を通って龍野高校へ越す峠で作ったという。武は、昭和51年11月病死した。74歳であった。

たつの市の文化紹介『たつのへようきたったなぁ』
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